1950年5月13日、午後3時。イギリス・シルバーストン・サーキットで、フォーミュラ・ワン世界選手権の第1戦がスタートした。これは当時7戦で構成されたシリーズのひとつであり、ここから75年にわたる競争と技術革新の歴史が幕を開けた。

75周年を記念し、F1は初開催のグランプリの映像を復元・カラー化して公開した。イタリアのジュゼッペ “ニーノ”・ファリーナがアルファロメオを駆って勝利を収めた様子が鮮やかな色彩で蘇り、世界初のF1ワールド・ドライバーズ・チャンピオン誕生の瞬間がカラーで蘇った。

この映像の公開は、F1が実施する記念日プログラムの一環で、他にもYouTube上で24時間にわたるストリーミングが行われている。そこでは、7つの名レースのフル映像や、数十年にわたる名場面のハイライト、そして現役F1ドライバーやチーム代表たちが語る「僕のF1最初の記憶」などが展開されている。

※ YouTube LIVE: F1’s 75th Anniversary 24 Hour Marathon

 https://www.youtube.com/watch?v=KS0r7_7cFDI&ab_channel=FORMULA1


これまでに開催されたF1グランプリは通算1,131戦に達した。

F1グランプリに出走したドライバーは、41か国から計787人を数える。そのうち、アメリカ出身のドライバーは151人、イギリスからは148人、イタリアからは85人が参戦している。

F1世界王者となったドライバーは34人。グランプリでの優勝経験を持つドライバーは115人にのぼる。表彰台に立ったことがあるドライバーは216人、ポールポジションを獲得したのは107人である。

F1がレースを行ったサーキットは、34か国77か所に広がっている。その中でも、カレンダーに1度だけ登場したサーキットは11か所あり、それはカサブランカ、ベルリン、ダラス、ドニントン、ル・マン、モンサント、ムジェロ、ペスカーラ、リバーサイド、セブリング、ツェルトヴェクである。

1950年のイギリスGPから2025年のマイアミGPまでに、F1マシンが走行した距離は合計で363,956.169kmに達する。これは、地球を9周する距離、時速900kmで17日間ノンストップ飛行する距離、時速100kmで152日間ノンストップ走行する距離に相当し、月までの距離の95%にもなる。

これまでにF1を支えたタイヤメーカーは9社。

現役最長のキャリアを誇るのはアストンマーチンのフェルナンド・アロンソで、2001年のオーストラリアGPでのデビューから24年2か月にわたりF1で戦い続けている。出走回数も最多で、その数は驚異の407戦である。

2番目に長いキャリアはミハエル・シューマッハで、21年3か月。続くのはキミ・ライコネンで、20年9か月8日間である。

最多開催グランプリを誇るサーキットはイタリアのモンツァで、これまでに74回のGPを開催。モナコ市街地サーキットは70回、シルバーストンは59回で続く。

最多優勝記録はフェラーリ所属のルイス・ハミルトンが持ち、これまでに105勝を挙げている。次いでミハエル・シューマッハが91勝、マックス・フェルスタッペンが現在64勝で追っている。

ドライバーズチャンピオン獲得数の最多記録は、ハミルトンとシューマッハが共に7回で並んでおり、続くのはファンジオの5回である。

シルバーストンではハミルトンが圧巻の走りを見せており、2024年の勝利により、単一サーキットでの最多勝記録(9勝)を樹立。表彰台登壇数も最多の15回を誇る。

F1史上、最も多く見られた表彰台トリオは、バルテリ・ボッタス、ルイス・ハミルトン、マックス・フェルスタッペンの3人で、20回同じ表彰台に並んでいる。

ヤン・ラマースは、2回のレース出走の間隔が最も長かったドライバーで、1982年のオランダGPから1992年の日本GPまで、実に10年3か月22日の間が空いていた。

リカルド・パトレーゼは、レース優勝の間隔が最も長かったドライバーで、1983年南アフリカGPの勝利から1990年サンマリノGPまで、6年6か月28日の間隔を空けて勝利した。

アレクサンダー・ヴルツは、1997年のイギリスGPでの表彰台から、次に表彰台に上がったのは2005年サンマリノGPで、その間7年9か月11日が経過していた。この時ヴルツは、ジェンソン・バトンの車両が軽量すぎたことにより失格処分となり、3位に繰り上げられていた。

2007年のワールドチャンピオン、キミ・ライコネンはポールポジションの間隔が最も長かったドライバーで、2008年のフランスGP以来、2017年のモナコGPまで8年11か月6日ぶりにポールを獲得していた。