メルボルンの開幕戦は、観客にとっては派手で、ドライバーにとっては落ち着かないレースだった。2026年の新規則が本格的に走り出した瞬間、サーキットには「常に順位が揺れ続ける」空気が漂っていた。エネルギー回生と放出の波が、そのままオーバーテイクの波になり、直線とコーナーのたびに優劣が入れ替わる。見た目はスリリングだが、運転席から見える景色は別物だ。

ランド・ノリスは5位でフィニッシュし、ポイントは拾った。それでも評価は辛辣だった。レース直後の言葉は、今のF1が抱える構造的な不安を、ためらいなく言語化していた。

「多すぎる。カオスだ。大事故が起きるはずだ。それは本当に残念だ。」
「走っていて、僕らはただ“何かが起きるのを待っている”状態だ。何かが本当にひどい形で起きてしまうのを待っている感じだ。」

ノリスが問題視したのは、単に抜きつ抜かれつが多いことではない。速度差の出方が極端になり、追いつき方が急激で、しかもその発生源がドライバーの腕前だけでは説明しにくい点だ。新パワーユニットは電気エネルギーの比重が大きく、バッテリーの残量や使い方がラップの体感そのものを変える。結果として、同じストレートでも「ある車は伸び、ある車は伸びない」という瞬間的な差が大きくなり、バトルがチェスのような読み合いというより、運用のタイミング勝負へ寄っていく。

ノリスの感覚は、レースというより“賭け”に近いという。

「ああいう状態は気持ちのいいものじゃない。でも今となっては、僕らにできることは本当に何もない。」
「残念だ。すごく人工的だ。パワーユニットが何をしようと決めるか、しかも時々ランダムにそう決まることに左右される。」
「5台に一気に抜かれてしまうこともあるし、時には何もできずにいるしかないこともある。」

ここで重要なのは、ノリスが“面白さ”を否定しているわけではない点だ。むしろ、面白さが安全性の不安とセットで増幅してしまっていることを恐れている。開幕前から彼は、エネルギー量に応じて前に出たり後ろに落ちたりする「ヨーヨー」状態が起きると言っていた。メルボルンはその予告編になった。

「何も変えられない。だからこれ以上言っても仕方ない。でも、僕には合わない。」

怖いのは、接近戦の質が変わることだ。前の車が回生を優先して遅くなり、後ろの車が放出を優先して速くなる。これが同じ地点で重なると、接近速度が跳ね上がる。ノリスは、その“跳ね上がり方”を具体的に口にした。

「みんなが何をするか次第で、30、40、50km/hの速度差が出ることがある。」
「その速度差で誰かが誰かに当たったら、飛ぶ。フェンスを越える。自分にも、場合によっては他人にも大きなダメージを与えることになる。」
「そう考えるのは、かなり恐ろしいことだ。」