フェラーリのフレデリック・ヴァスール代表は、荒れたF1 2025年シーズンの、ルイス・ハミルトンとシャルル・ルクレールの苛立ちをチーム運営上の問題とは捉えていない。

2025年シーズン終盤、フェラーリは期待されたような結果を出せず、ハミルトンとルクレールは次第にいら立ちを強めていった。開発が進まないマシンは不安定さを増し、公の発言は次々と見出しになった。フェラーリ会長ジョン・エルカンのコメントまで話題を呼び、状況はさらに過熱した。

ハミルトン、ルクレール、そしてヴァスールはいずれもエルカン発言を大きく扱わない姿勢を見せたが、肝心のパフォーマンスは上向かなかった。ドライバーのフラストレーションも収まらない。終盤3戦は、特にハミルトンにとって悪夢のような週末が続いた。アブダビで後方からポイント圏まで回復しても、本人の表情は晴れなかった。

だがヴァスールは、それを悪く受け取らなかった。マシンを降りた直後にメディアでストレートに話すことはあっても、デブリーフやミーティングでは、ハミルトンは常に前向きで、状況を正すためにプッシュし続けているという。ルクレールについても同様で、彼はチームのせいにする前に、まず自分のミスを口にするタイプだと説明した。

ヴァスールは、ドライバーには“遠慮のない率直さ”を求めている。メディアの場でも守りに入るより、頭の中をクリアにし、自分が何を望むのかを明確に語るべきだという立場だ。だからこそ、彼は苛立ちを恐れない。苛立ちはハミルトンやルクレールだけのものではなく、チーム全体の集団的な感情だと見ているからだ。

ヴァスールは、苛立ちは悪ではなく、重要なのは“その後の反応”だと強調した。

「正直に言って、クラッシュの後や、本人に責任がない状況の時、あるいはパフォーマンスが厳しい時に、ドライバーが苛立つのは完全に理解できる。ガレージでもピットウォールでも、僕たちも全く同じ苛立ちを感じている。大事なのは、苛立った後にどう反応するかだ。正直、苛立ちは時に良いものでもある。大切なのは、月曜の朝から反応できて、次のレース、次の年、未来に向けて集中できることだ。厳しい週末なのにドライバーが満足していたら、私のほうがもっと苛立つ。そこまで行っていない」

「私は2人のドライバーをよく知っている。彼らは彼らのままだし、私はそれを完全に受け入れている。この苛立ちには私も完全に同調している。ピットウォールでも全く同じだ」
「ブラジルでクラッシュが起きて、シャルルが、ピアストリとアントネッリの接触でレースから消える。ああいう時、当然こちらも強烈に苛立つ。シーズンを通してP2を争うために膨大な努力をしてきたのに、0.1秒の出来事で“P2の可能性”を失う。あれは大きい」

「技術トラブルなどで良いレースができない時も同じだ。でもこの苛立ちは、我々がやっていることのDNAの一部だ。苛立ちの出し方は人によって違うが、感じているものは皆同じだ。もしドライバーが『僕たちはいい仕事をしている』なんて言ってきたら、私は打ちのめされる。ドライバーにとってシーズンの総括とは、常に“どこを改善できるか”を探すことだ。我々はそれができている」

「彼らのDNAも私のDNAも、チームをより良くするためにプッシュすることだ。だから彼らは僕たちのところに来て、シャルルもルイスも、片方だけではなく2人とも、あらゆる領域でチームを限界まで押し上げなければならない。もちろん改善できるし、改善はどこでもできる。だが去年も、最後のコーナーまで争っていた時でさえ、シャルルの反応は全く同じだった。彼は『みんな、全ての領域で改善しないといけない。シミュレーター、セットアップ、空力だ』と言った。これが彼らの仕事のDNAであり、このスポーツのDNAだ。私に『フレッド、ここもここもここも改善しないといけない』と言いに来ても、私は何もショックを受けない。むしろそれが、我々が彼らに求めていることだ」

「ドライバーが“改良要求のレポートを送った”という記事が出ることがあるが、正直、それで驚くのは少しナイーブだ。ドライバーからのレポートは毎レース必ずある。そこに魔法はない。ドライバーが『これをやろう、あれをやろう』とチームに送るのは日常だ。我々も同じように、彼らを限界まで押し、ドライビングを限界まで押す。私は35年間そうしてきた。ルイスやシャルルで何か“特別なこと”が起きたわけではない」