ピエール・ガスリーが、2019年のレッドブル降格を振り返り「辛かったが、結果的に解放でもあった」と語った。トップチームのシートを失う屈辱は大きい。だが彼が最も強く指摘したのは、成績不振そのものよりも、崩れた時に受け止めてくれる仕組みの欠如だった。本人は当時を「サポートがどこにもなかった」と表現し、結果を求められる速度だけが上がり、修正のための余白が削られていったと示唆した。
「悲しかった。サポートはどこにもなかった。大きなチームはマックスを支えるフォーメーションだった」
「僕の担当エンジニアは(フォーミュラEから来た)F1未経験の新任で、力を出すための環境や道具が足りないと感じていた。それでも結果を出すためにここにいる。自分の力で戦うしかなかったし、互いに満足できていなかった」
トップチームの“2台目”は、常に比較の対象になる。ベンチマークは隣のスターであり、評価は周回ごとに更新される。短期的な数字が独り歩きし、迷いが増えればクルマの癖はさらに増幅する。ガスリーの言葉は、個人のミスに還元されがちな降格劇の裏に、心理を摩耗させる構造があったことを浮かび上がらせた。
屈辱のはずの交代劇だが、決定の瞬間には意外な感情が込み上げたという。環境が変わったことで、彼は「救われた気がした」と明かす。重圧の中心から離れ、自分の走りと向き合う時間を取り戻せた。実際にガスリーはその後、勝利や表彰台を手にし、キャリアを立て直していった。失ったのはシートではなく、自信だったという告白にも聞こえる。
