
フェリペ・ドラゴビッチが、アストン・マーティンで自らがF1シートを手にする目前まで迫っていたこと、そしてランス・ストロールが「2024年にF1参戦をやめる寸前だった」ことを明かした。
2022年のF2チャンピオン、ブラジルとイタリアの二重国籍を持つドラゴビッチは、ブラジルのポッドキャスト番組「Na Ponta dos Dedos」で、以前から噂されていた「ストロールが何度かF1引退を考えていた」という話が事実であったことを認めた。彼によると、ストロールはそのたびに、チームオーナーである父ローレンス・ストロールによって思いとどまらされてきたという。
「僕はアストン・マーティンと2024年と2025年のリザーブドライバー契約を更新した。そこには希望だけでなく、実際に『24年に僕が乗るかもしれない』という具体的な話があったんだ。チームマネージャーとも話をしていたよ。」
「ある時期、他のドライバーが『もう続けたくない』という雰囲気になっていたんだ。」
「2023年に僕が乗る話はうまくいかなかったけど、その年の終わりには『もしかしたら24年はいけるかもしれない』という空気が強くなっていた。その頃、チームの中でも色々と動きがあったんだ。」
「チャンスが訪れそうだったし、チームから『24年と25年の契約を更新しよう』と契約書を出された。僕は『今がチャンスだ、正しいタイミングだ、行こう』と思ったんだ。」
ドラゴビッチによれば、事態は想像以上に現実味を帯びており、ストロールが2024年にF1を去る可能性は「非常に高かった」という。
「あの時は本当にギリギリのところだった。ランスが2024年に続けない可能性は、みんなが思っているよりずっと高かったんだ。」
しかし最終的に、ストロールはF1に残留を決断。ドラゴビッチは再びリザーブとして順番待ちの列に並んだが、F1をドライブするチャンスは訪れず、その後フォーミュラEへの転向を選んだ。
「状況を責めることはできないよ。僕にはどうすることもできなかったし、もし僕が彼らの立場でも同じ決断をしたかもしれない。」
「でも僕の立場からすると、すごく複雑だった。すべてがうまく進んでいると思っていたし、道が開けていると感じていたんだ。契約書も出されて、『本当に起きる』と思っていたのに、結局そうならなかった。だから僕は今もその気持ちを引きずっているけど、仕方ないことだ。もう泣いても何も変わらないからね。」